ゆらり

日々思うことを形にして

短歌:一年前と後の差分

夫逝きひとりで歩む街並みは
あなたマイナス1の風景

 

いつもいた場所にあなたの姿ないと
確かめながら受けいれていく死

 

空気みたいに当たり前にいたあなた
息するように思い出浮かぶ



夫が亡くなって少し経った頃の歌です。

まだ、夫がそこかしこにいるような気がして、幻影のようなものを探してしまうのですが、やはりいないのです。

「脳がバグっている」という表現が、よく浮かんできました。

「誤動作している」より、なぜかしっくりときて。

 

一周忌の前後では、あまり変化はないのですが、一年前と比べると大きく変わったな、と感じる部分が多いです。

短歌も、夫が亡くなってすぐのものと、今のものとでは、やっぱり差分がありますね。

 

前回の記事「短歌:一周忌」で、「私 2.0」や、差分というIT系の表現を使いましたが、一年前には「マイナス1の風景」だったのに比べ、プラスに転向していたんだ、と見比べてみて気がつきました。

夫が亡くなって少し経った頃から、クローズド(自分限定)のブログを作り、夫のことを詠った短歌や思い出を綴っていました。

ブログ名は上記の短歌から取って、「あなたマイナス1の風景」。

この歌そのものは、短歌サイトに1度投稿したことがあります。

しばらくして更新が止まってしまいましたが、今見返してみると、とても重たいのです。

同じテンションで書き続けることはできないなと思い、新しくこのブログを作ることにしました。

 

画像は、「あなたマイナス1の風景」で使用していたもの。

夫とドライブに行った先の風景をガッシュで描きました。


yuratide.hatenablog.com

短歌:桜と春嵐

一分咲き日を追うごとに二分三分

あせらずに咲きゆっくりと散れ

 

九分咲きで花冷えもたらす薄曇り

一息入れよう桜とともに

 

春嵐に満開の桜向かい立つ

舞い散る花びら気にも止めずに




今年も川辺の桜はきれいに咲いてくれました。

今朝、だいぶ散ってきていたので、花筏の写真を撮ろうと出かけたのですが、風が強くて筏はすっかり流されて見当たりませんでした。
ちょっぴり残念でしたが、毎年同じ風景が見られないということは、その時々に出会ったものが、より大切に思われる、ということかもしれませんね。

短歌:一周忌(追記 2026/04/09)

傷跡が癒えゆくように

心にも薄い膜張る一周忌かな

 

あなたいた眺め

記憶の中にだけ存在している領土のごとく

 

ひとり生き始めた「私 2.0」

差分確かめ送る毎日

 

去年より前に進んだ道のりを数え

迎えるあなた亡き春



夫の一周忌が来る少し前から、この日をどんな気持ちで迎えるのだろうかと思っていました。

「案外、大丈夫じゃない?」、という時もあれば、不安に押しつぶされそうな時も。

特に、朝起きた時。

身体に血がよく巡っていないせいもあるのでしょう、よくない考えばかりが浮かんできます。

 

でも、取り敢えずその思考を「保留」にするようにしています。

グレーゾーンに置いておくのです。

軽い体操をしてベッドから出て、台所の食器などの片付けをし、カフェラテを淹れる頃には、なんとか大丈夫になっている自分に気がつきます。

身体を動かしている時の方が、良い考えが浮かぶものですね。

「私 2.0」とは、OSやアプリのバージョンアップに、自分の人生をなぞらえました。

以前のバージョンとの差分が、自分でも時々わからなくなってしまうのですが。笑

追記 2026/04/09


一周忌の当日は、夕方に「涙そうそう」をウクレレで弾き語りしました。

この歌や、さだまさしの「精霊流し」は好きな歌だけど、まさか自分の夫を偲ぶ歌になるとは、思いもよらなかったです。

来年は、夫が好きだった、もっと明るい曲を弾こうかな。

 

夕飯には、花見に行った時によく食べていた鰻を思い出し、スーパーで買ったものをフライパンで酒蒸しし、長芋のすりおろしを添え、大葉の千切り、ごまをトッピングして食べました。これは夫が時々作ってくれていたレシピ。

久しぶりに食べると、とても美味しかった。ありがとうね、クマ(夫の愛称)。

 

何かの節目の日には、精神が不安定になることも多いけど、しっかりと悲しみ、その気持ちを自分で受け止めることが大切ですね。そうすれば、また前へ進んでいけるような気がします。

 

短歌:夫の車と自転車からの眺め

庭にある夫の車手放した
狛犬のいない神社みたいだ

助手席からいつも見ていたわが街を
自転車走らせ感じる季節

車窓の切り取られた視界より
広い自転車で行く道青天井


夫が亡くなって少し経った頃に詠んだ歌、三首です。

夫の生前には、車でいろいろな所へ行きました。

近所や都内へ買い物に行ったり、たまにドライブで遠出をしたり。

いつも助手席から外を眺めて、景色や歩いている人たちについて、お互いの感想をよく言い合ってました。

時には、勝手にその人の人生を想像して、笑い話にしたりして。

 

自動車税の関係があるので、夫の車は早めに買取に出すことに。

打ち合わせ、査定の後、3回目の訪問で車は引き取られて行きました。

車がなくなり、がらんとした庭だけが残りました。

 

夫が亡くなってからは、自転車であちこちへ行くようになりました。

同じ道を通っても、自転車から見える景色は、車からのものとは違うものだな、と改めて思いました。

よく通る道はだんだん慣れてきましたが、たまに通る道だと、違和感を覚えたり、悲しくなったりします。

 

でも、車という囲いの中から小さな窓を通して見るより、自転車からの方が、遮るものが何もないので開放感があることに気がつきました。

ところで、私はロードバイクで時々サイクリングに行き、風景の写真を撮ったり、スケッチをしたりするのが好きです。

車より広い視野で眺めているので、風景がより美しく感じられるのかもしれません。

ママチャリでも、「開放感のある景色を、眺められるようになった」と考えたら、ちょっとだけ楽しい気分になりますね。

短歌を詠むようになって良かったこと

短歌は、数年前から詠み始めました。

毎年、詠んだ歌をプリントし、日記と一緒に綴じています。

私は日記を長々と書く方なので、読み返すのが大変です。

短歌はその時々の出来事が結晶化されていて、音楽のアルバムを聴くように一年を振り返ることができていいな、と感じています。

 

夫が去年の春先に亡くなりましたが、悲しい気持ちを短歌に詠むことによって、心が落ち着き、少しずつ前に進めるようになってきたと思います。

桜が咲く前に亡くなったので、去年は一緒に花見ができませんでした。

でも、近所の川辺に桜の木があり、夫は空からでも眺められるだろうから、「今年からは、ここで花見だね」、と写真の夫に話しました。

短歌:隅田川の桜」は、夫がまだ元気だった頃に花見に行き、その後少しして詠んだものです。

 

あまり多く詠む方ではないので、更新は少しずつになりそうです。

でも、気長にやっていこうと思います。

 

yuratide.hatenablog.com

短歌:木蓮(モクレン)

春浅く蕾結びし木蓮も
髪振りほどき女となりぬ

モクレンは、早春のまだ花が少ない頃に咲いてくれる、とても好きな花のひとつ。
先月植物園に行った時に、開花した花をよく見てみると、
楚々とした蕾とは違い、しどけない大人の女性のようでした。

水彩は、植物園で撮った写真を元に画仙紙に顔彩で描きました。
ドローイングは、現地で花を見ながら描きました。

短歌:猫柳(ネコヤナギ)

枝々に小さく宿る猫たちが
ささやき告げる春の訪れ

2月の終わり頃、ロードバイクで立ち寄った公園で見かけたネコヤナギ。
枯れ葉に囲まれた冬景色の中で、春はもうそこだよと言っているようでした。